場面緘黙症だった小学校時代

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場面緘黙という言葉をご存知でしょうか  

 

緘黙とはしゃべりたくてもしゃべれないこと。

 

家ではちゃんと話ができるのに、

学校や外でしゃべれなくなることを

場面緘黙症と言います。  

 

小学生の6年間、僕は場面緘黙症でした。

小学校に入学する前から

人に注目されることが苦手で

 

大勢の前で声をだすのが恥ずかしい  

自分の声を聞いたらどうおもわれるんだろう  

 

そう思っているうちに だんだん声をださなくなり、

しまいにはしゃべれなくなりました。    

 

しゃべれないので、 「はい」と「いいえ」を 首を動かして気持ちを伝えていました。

 

 

 

完全に人任せです。

 

おしゃべりですら人任せですから、

何事にも人に合わせて、目立つようで目立たない学校生活を過ごしていました。  

 

先生は自分の緘黙症をよく知っていてくれて

いじめにあうということはなかったのが

唯一の救いでした。

 

そんな喋れない僕が

どういう性格になっていったのか

一言で言うなら

「受動的」です。

 

人に聞かれてしか反応できないので

自分から喋る、提案する、行動する

これらのことが全てできなかったのです。

 

なので、人に言われるがまま

自分では行動しない

「受動的」な性格でした。

 

そんな僕でも友達がいました。  

土日は毎日ゲームで遊んでいた記憶があります。

その人とは普通にしゃべれました。

 

学校行く前から友達だったので、

声を聞いても、反応が気にならないから

しゃべれたんだろうと今振り返ってみると思います。

 

そんな友達がある日を境にいじめの対象になりました。  

 

「やめろ!いじめるな!」

の一言もいえませんでした。

 

僕は助けられなかった。

いじめられても見ているだけで、

いじめをやめさせられることができませんでした。

 

そんな自分が嫌でした。

いつでも人に助けてもらってばかりで、

自分から助けることはできない

 

無力感と罪悪感でいっぱいでした。

 

 

そんな僕が、最後の最後で自ら行動できたことがありました。

 

 

そのエピソードの前に恩師の話をします。

小学6年の先生にとても感謝した出来事がありました。

休み時間、緘黙症の僕は

外に遊ぶことがありませんでした。

 

友達が一人しかいませんので、

誘ってくれる人もいませんでした。

 

そんなときに、先生が

「一緒にドッジボールやろうよ!」

と薦めてきたのです。

 

薦められたきっかけで

ドッジボールで遊ぶ機会も

増えましたし、

友達ができるきっかけになりました。

 

そんな感謝した先生に

ちょっとしたことでもなんか報いたいと思っていました。

 

卒業式の日 卒業証書をもらうときに

名前を呼ばれた後、返事をするということがあります。

 

最後の卒業式だけでも、声がださなきゃと思い、

勇気を振り絞って かすかな声で 「はい」 と答えることができました。  

 

僕が場面緘黙症を克服できたのは ここからが始まりです。  

 

中学校に入ってからは、 普通の人と比べると全然しゃべれなかったんですが、 少しずつ、声がだせるようになりました。  

 

無事、場面緘黙症を克服できてよかったのですが、

6年間、おしゃべりできなかったのですから、

人とどうやってコミュニケーションをとったらいいか 全然わかりませんでした。  

 

このことが僕の自信をなくさせ、コンプレックスの塊となる きっかけとなりました。  

そして、中学生時代になったときにも 僕はコンプレックスがだんだん増えていきました。

 

変わりたいけど変わらない、いじめられっ子の中学校時代

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